中国近現代史 国共合作と2度の国共内戦

国共合作のプラス面と国共内戦のマイナス面

蒋介石は敗れるべくして敗れた!
 中国は二度にわたる国共合作を行い、それに対応して2度の国内内戦を経験している。しかしこれらの2度にわたる国内内戦は、いずれも蒋介石が仕掛けたものである。
 第一次国共合作は、軍閥および北京政府に対抗する共同戦線であった。蒋介石は北伐に著しい功績を示すと同時に、上海クーデターを起こし国共合作を反故にしている。第二次国共合作は日本の中国侵略に対して抗日戦線を構築するためであり、直接的には張学良の西安事件によりいわば無理やり合意させられたものである。しかしながら、結果的には日本を打ち破ることに成功し、蒋介石にとっては幸いな結果をもたらしている。

 彼は根っからの反共主義者であり、ある意味当然の帰結であろう。
 2度に亘る国共合作のときは、それぞれ敵が明確にあり、国民的要求と彼自身たち位置が合致していたが、敵が払拭されてしまうと彼の立ち位置と国民の要求にずれができてしまい、彼の思想性からそれらを調整することができなくなったためであろう。

当時の国内世論と時代的背景
 2度目の国共内戦について説明する。日本に対する勝利は、国共両党にとって、統一戦線を維持する根拠が失われたことを意味した。
 1945年春に両党は戦後構想を示し、共産党は連合政府の必要を説いたが、実際には抗戦勝利直後から両軍の小競り合いは続いた。それに対して、44年に成立した中国民主同盟(民盟)などを中心として、広範な人々が「内戦停止と建国合作」を求めていた。またヨーロッパを重視する米ソ両国も、アジアでの内戦の勃発を望まなかった。(このような国内外の世論は「天の声」ではなかったのだろうか。)
 こうして46年1月には、一旦は立憲主義的な改革の実現が合意された(政治協商会議決議) 。「平和と民主主義の新段階」のはじまりの幕が切って降ろされたのであるが・・。

国民党の仕掛けと統一戦線の崩壊
 しかし蒋介石は一党独裁に固執し、1946年夏には共産党支配地区への攻撃を本格化した。また同年夏には民盟の指導的幹部二人を雲南省毘明で暗殺した。国民党が彼らをも攻撃の対象としたことは、この内戦が単なる国共の対立ではなく、独裁と民主の闘いであるとの主張を生み出すことになった。この時点で蒋介石は大義を失ったといわねばならないと思うのだが・・。

共産党の勝利と国民党の敗退
 内戦は当初、米国が支援する国民党軍が優勢であった。しかも、国民党の指導者の蒋介石は満洲の権益と引き換えにイデオロギーを棚上げにしてソ連のスターリンと協定を結んだため、ソ連から中国共産党への支援は消極的なものとなる。この行動は、「売国奴的」と非難されるべきものではないだろうか。
 その間に国民革命軍は満洲で大攻勢をかけ、1947年中頃になると共産党軍は敗退・撤退を重ね、国民党は大陸部の大部分を手中に収めようとしていた。
 しかし共産党は新民主主義革命論を掲げて、資本主義発展を当面の間は認め、社会主義へは平和的な方法で緩やかに移行すると宣伝した。また農村の根拠地では、土地改革を実施し、貧しい農民の圧倒的支持を得ていた。
 共産党は、1948年に入ると反米反蒋介石を掲げ、自由主義的な傾向を持つ知識人や資本家をも統一戦線に含めて、新政権を樹立するための準備を本格化した。
 そして、農村部を中心に国民党の勢力は後退、共産党が勢力を盛り返していく。1948年9月から1949年1月にかけての「三大戦役」で、共産党軍は決定的に勝利する。1948年9-11月の遼瀋戦役では国民党軍47万は殲滅され、国共軍事比は290万人対300万と逆転した1948年秋から49年にかけて国民党軍に相次いで勝利し(平津大戦などの三大戦役)、共産党軍は長江を渡ることに成功した。
 この時は成功したが、この成功が毛沢東の慢心となり、その後の戦略に大きな影を落とすことになるといえるのではないだろうか。
 軍事的に敗北した国民党は、政府・軍とともに台湾へ逃れざるを得なくなった。
    特記事項
     蒋介石は戦後すぐに旧日本軍を共産党の攻撃に利用しようとし、多くの日本将兵を中国本土に残し、残留将兵を使って中共軍を攻撃させる行動に出た。この為多くの将兵が、戦後においても中国本土で命を落としている。
     さらに台湾にわたって後も、蒋介石の依頼を受けた元支那派遣軍総司令官の岡村寧次は、密かに富田直亮元陸軍少将(中国名・白鴻亮)率いる旧日本軍将校団(白団)を軍事顧問として台湾に密航させ、蒋介石を支援した。
    地縁や血縁によって上下関係が構築されるなど、長い戦乱で軍紀が乱れきっていた国民党軍幹部に近代的な軍事技術を伝授し、軍の近代化を推進。特に艦艇、航空機の運用面で改善は著しく、八二三(金門)砲戦防衛に成功、際立った効果をあげた。 白団による中華民国国軍への指導は1960年代末まで行われた。
     以上ウィビキペディア参照
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