晋・南北朝「貴族の時代」一部の氏族が高級官僚を独占し、中央官僚を独占した一部の氏族による広大な荘園化が進んだ
南北朝とはどのような時代であったか?
魏・呉・蜀の 3 国に分裂した中国を再統ーしたのは、魏から禅譲を受けた晋であった (265年 ) 。しかし、王族の内紛と異民族の侵入によって、 30 年あまりで晋の統ーは崩壊した。 晋の一族の司馬睿は江南に逃れて建康 ( 現在の南京 ) で即位し、晋を復興した。これを東晋 (317ー 420 年 ) と呼び、それ以前の西晋と区別する。
南北朝時代 その後、この東晋を受け継いだ形で宋・斉・梁・陳と禅譲を繰りしながら 250 年以上にわたって華南を支配した。これを南朝と呼ぶ。 一方、華北では、304年前趙(趙)の建国より439年北魏(魏)が統一するまでの間、五胡 ( 匈奴・鮮卑・羯・氐・羌) が政権を建てたが、最終的に鮮卑族が建てた北魂が統一する(AD439年)。この間のことを五胡十六国時代と呼ぶ。
華北では胡族と漢族の融合が進み新たな文化が生み出された。一部の氏族が高級官僚を独占していたが、特に華南では、貴族による大規模な荘園が進んで、江南の開発が進んだ。
貴族の時代
魏晋南北朝に魏の九品中正を経て貴族社会が形成されたと一般的に言われている。かれらはいわゆる門閥貴族であり、同じように血統的に特権的な地位を継承した。彼らは律令制の下でも蔭位の制などによって特権的な地位を維持し、荘園を経済的な基盤として支配的な地位を守っていた。 しかし、この制度は、隋にはじめる「科挙」により、貴族が官僚制度の中に組み込まれ、貴族はその力を失う。宋代には、現地で佃戸を抱える新興地主であり、かつ知識人として官僚となっていった科挙合格者の士大夫がその力を持つことになる。
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