土地改革:共和国建設直後に行われたこの政策は中国社会をどのように変え何をもたらしたか

中国の基幹をなすべき「土地改革」の功罪

土地改革
土地改革とは  土地改革とは地主や富農と認定した大土地所有者から土地や農具その他の財産を没収し、貧しい農民に分配する改革である。1950年6月、土地改革法を公布に始まり、52年末をもって完了した。これにより2000年間、中国社会を特徴づけてきた中国農村の状況は一新された。まさに土地改革こそは、新生中国の最重要課題であった。土地の均分を求める中国農民の二千年来の希求でもあったといわねばならない。
土地改革のもたらしたもの
 これにより中国農村は新しく生まれかわり、地主階級が打倒されて土地を手にした農民(貧農・中農)による農業生産も著しい上昇を示した。その政治的な意義は、農村の権力構造を再編し、統治を社会の末端にまで浸透させるのに大きな役割を果たした。 農業生産の停滞と増強のプレッシャー  土地改革の結果、当初は著しく生産性は向上したが、53年になると早くも農業生産の停滞的な傾向もあらわれた。このような農業面での停滞は経済の基本的な部分を農業生産に依存している中国にとって、小土地所有農民に分割された小農経済がふたたび定着していくことにつながり、中国が目指す社会主義改造にとっても大きな障害になるものだと見なされた。  加えて朝鮮戦争、冷戦の始まり、ソ連との軋轢など中国を取り巻く状況の変化は、生産増強へのプレッシャーはさらに強大なものとなった。

土地の私有化と集団化の矛盾
 しかし、自分の土地をもてるようになるという期待こそが革命への参加の最大の動機であった多くの農民にとって、いったん自分のものとなった土地がふたたび集団所有化されていくことはきわめて深刻な矛盾であり、土地改革から農業集団化への歩みのなかには、さまざまな軋轢や緊張が生じたのであった。

中国共産党の二律背反と禍根
 中国共産党はこの過程を段階革命論で合理化したが、結果的には中国国民に対する裏切りに等しい欺瞞的政策と非難を受けることとなった。この合理化とは「革命には段階があり、最初の段階で富農から土地を奪い、農民に与えるという無産者革命の段階、次の段階に革命が進めば、その土地を集団化して、社会主義路線に乗せることは革命の発展の過程である」というものであった。  しかもこの土地改革は大衆的に、暴力的に行われ、多くの犠牲を伴った。こういった政治手法は、後の「百家斉放、百家争鳴」と「反右派闘争」でもそのまま踏襲され、文化大革命でも拡大発展(?)されることになり、中国共産党に対する根強い不信を植え付けることとなった。  毛沢東は、中国の歴史の中での「XXの乱」といった反乱からよく学習し、大衆を動員し、その無差別的暴力を鼓舞し、攻撃を仕掛けるという手法を用い、その怖さを知り尽くしたうえでそれを100%利用したある意味では稀有の政治家ではなかったろうか。  例えば秦の始皇帝や明の朱元璋のような暴君が恐怖政治で支配を強めたのに対し、毛沢東は彼らのように自らの暴力装置を前面に置かず、大衆を前面にたて、その暴力でもって支配したという意味では、はるかに高度な(?)政治手法だったと言えると思う。  しかしながらそのような手法も、大衆の民度が低い場合に限って可能であり、今日の中国人民のように文化大革命を経験し、その中から多くのことを学んだ大衆に対してはそれを使うことはできないのではなかろうか。  この手法を未だ使うことができる国はインド、中央・西アフリカ、中東などの宗教が支配している国々が想定されるのだが・・・。

  参考文献 「中国百科」 (P230,日本中国友好協会編、メコン社)
「中国現代史」 (P205、中嶋嶺雄編 有斐閣選書)

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