2014年10月9日木曜日

「中国百科 歴史編」 アヘン戦争 P208をアップしました


アヘン戦争

イギリスは、インド農民にイギリス製綿布を消費者させ、代わりにアへンを生産させ、そのアヘンを中国に密輸するという最もあくどい三角貿易を行うようになった。このため中国ではアヘンの中毒が蔓延すると同時に、アヘンの代価としての銀が多量に流出し、銀の代価が高騰し、中国の経済に深刻な打撃を与えた。清朝はこれを阻止するため、禁輸措置などを行ったが、イギリスは中国に戦争を仕掛け、アヘン戦争が勃発した。
 皇帝道光帝は厳禁論をとり、林則徐を欽差大臣として広州に派遣した。1839年3月、彼は広州でアへンの販売と吸飲を厳禁する布告を出し、官吏・軍人の綱紀を粛正した。また、外国商館の封鎖をおこない、イギリスの商務監督官チャールズ・エリオッ卜を監禁し、約二万箱のアへンを没収して、これを石灰で処理して海へ流し捨てた。
 イギリスはこの処置を財産侵害だとし、1840年6月、イギリス艦隊 を派遣し、アへン戦争が始まったのである。
 私は、この事件はイギリスが犯した世界史上まれに見る悪行と言わねばならないと考えている。

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2014年9月2日火曜日

「中国百科攻略ノート・歴史編」 隋唐時代をアップしました

隋唐時代

隋は秦の始皇帝の国家統一以来、800年のときを経て、成し遂げられた統一国家である。隋はそれまでの王朝の幾多の改革を自分のものとして吸収し、それを下に大土木事業を展開する。その結果、中国の南北を結ぶ大運河は、中国の農業や、商品の流通を飛躍的に増大させ、唐という文化の花開く時代に引き継がれることとなった。

「隋唐時代」 ☜ 詳しい説明はこちらをクリックしてください

2014年8月15日金曜日

「中国共産党簡史」に見る辛亥革命の評価をアップしました。

番外資料編

中国の辛亥革命の評価については、日本でも盛んに論じられている。しかし外国から見ていろいろ論評するのではなく、中国国民がこれをどう見るかが非常に重要だと考える。