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2015年2月16日月曜日

「中国百科ノート 歴史編」 明末清初の時代、生産力の増大 P196をアップしました


明末清初はどのような時代だったのか

明朝の末期と清朝の始まりの時期の社会
 中国では旧王朝が滅び、新王朝が成立する時期には、人口の急激な減少が起こっている。
 事実明の最初の時期1381年には人口は59百万人であったものが、明が滅亡した1644年には人口は約10百万人に減少してしまっている。
 明末には魏忠賢の宦官の専横が激しく、東林学派との間で激しい政治闘争が起こり、世の中は大いに乱れた。
 また明の最盛期には鄭和の率いる大船団の艦隊で世界に乗り出したにもかかわらず、明の後半になるとアッサリと海外に乗り出すことをやめてしまっている。
 
産業の発展と資本主義の萌芽
 明朝の末期には急激な人口減少がみられたものの蘇州などでは、地の紡績業中多くの生産商品を目的とする工業家が出現した。彼らは工場を開設し職工を雇って生産に入り、工場出資、職工生産方式が出現した。
 このことは明代に既に資本主義の萌芽が出現していたことを示している。この工業は最初絹織物を中心とする家内制手工業の形態であったが、次第に大規模生産の綿織物、金属冶金業、製油業などで大規模な工場をもち、賃労働者という資本主義の萌芽携帯といえるような状態まで発展していた。

 また農業生産においては、既に見たようにアメリカ大陸の発見、ヨーロッパ列強の植民地拡大などによりアメリカ原住民の農産物がもたらされるようになり、中国においてもこれら農産物の栽培が定着し生産性が拡大するようになって来た。

 この時代は中国においても、資本主義の萌芽が見られるようになり、新しい時代への準備が徐々に(しかしかなり緩やかに)進んだ時代とも言える。