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2015年11月17日火曜日

二度にわたる国共内戦と日中戦争 蒋介石

国共内戦

中国は二度にわたる国共合作を行い、それに対応して2度の国内内戦を経験している。しかしこれらの2度にわたる国内内戦は、いずれも蒋介石が仕掛けたものであり、その意味では蒋介石側にとって大義がなかったといわねばならない。
  二度目の国内内戦は、先の戦争における日本に対する勝利は、国共両党にとって、統一戦線を維持する根拠が喪失したことを意味した。
 大義もなく内戦を始めた蒋介石は、「新民主主義革命論を掲げ、資本主義発展を当面の間は認め、農村の根拠地では、土地改革を実施し貧しい農民の圧倒的支持を得ていた」共産党を中心とする統一戦線に敗れ、国内内戦に敗れ台湾に逃れることになる。
 同時にこの時期には毛沢東は共産党の中でその権力を確立し盤石なものとしていた。
詳しい説明は 【国共内戦】 ☜ をクリックしてください

2015年11月13日金曜日

抗日戦争:盧溝橋事件に端を発した「日中全面戦争」のこと

抗日戦争は、1945年日本の無条件降伏に至るまで戦われた日中全面戦争

盧溝橋にある抗日記念館
もうすぐ7月7日が巡って来る。中国の国民にとってはこの日に起こった盧溝橋事件に端を発し、日本軍により中国国内に全面的に蹂躙されるきっかけとなった「屈辱の日」である。  抗日戦争とは、盧溝橋事件に端を発し、1945年日本の無条件降伏に至るまで戦われた「日中全面戦争」のことである。日本では1931年から45年までの15年間を称して、「日中15年戦争」と呼ぶことがある。蒋介石の率いる国民政府はこの時点では共産党との交戦を続けていたが、しばらく後で起こった西安事件をきっかけに国共合作が成立し、中華民国は「抗日」のスローガンの元に統一されることになる。

抗日戦争  ☜ 詳しい説明はこちらをクリックしてください

2015年10月31日土曜日

国民政府と蒋介石の歴史的評価の見直しが進む

国民政府と蒋介石

蒋介石を祀る中正紀念館
1925年5月には上海で五・三○運動が始まって反帝国主義、民族主義の運動の高揚を背景に、蔣介石は広州の軍閥を駆逐し、国民政府を樹立した。これから、武漢、南京、重慶、台湾と転々としながら長く続いた。従来はその反共主義、対日妥協政策などが厳しく批判されてきた。蒋介石はその中で一貫して権力の中枢の座にあり、良くも悪くも彼を抜きにして国民政府は語ることができない。
 そして中国国内では近年その見直しが進んでいる。国民政府の時代の中には、その反共主義的なかたくなな態度から、長い間中国を分断に導き、近代国家としての出発を大きく遅らせたなどのマイナスの側面も大きい反面、国共合作の時代もあり、中国共産党と協力して対日戦線で勝利したことや、中国の主権の回復、経済発展などに功績を残すなどのプラスの側面もあり、再評価が進んでいる。

国民政府と蒋介石  ☜ 詳しい説明はこちらをクリックしてください